メロン部会のあゆみ

 東京オリンピックが開催された昭和39年に、JA茨城旭村は設立されました。その2年後の昭和41年にプリンスメロン部会が発足。初年度の会員数は35名、作付面積5ヘクタールからのスタートでした。翌年には会員数が115名に増えましたが、つる割れ病が発生し、自根栽培の限界を確認。耐病性を持つ台木への接木栽培に切り替えました。同時にメロンに適した肥料の研究を開始。これらが功を奏し、44年には会員数221名、畑は75ヘクタールに増え、売上げが初めて1億円を超えました。45年にはそれまでの小型トンネル栽培から、一部ハウスを導入し、収穫期を早めることに成功。それでも当時の初物が採れるのは5月下旬になってからのことでした。

 昭和47年、念願の5月中旬からの出荷が実現したこの頃より、メロンが旭村の基幹作物として普及しはじめ、施設投資と技術向上への努力が本格的になされるようになりました。以後、いくつもの品種の変遷を経ながら土壌改良や施肥設計など、良質なメロン栽培に向けての工夫をこらし、着々とメロンの生産量を伸ばしてきました。平成元年に赤肉のクインシーメロンの栽培が本格的に始まり、同年選果ラインの増設と予冷庫の導入を実施。全国に先がけてメロンの予冷出荷を試みます。平成15年に大規模な青果物管理センターが完成。先進の光センサーとトレーサビリティシステムを導入し、栽培履歴が明らかで当たりはずれのないメロンの提供を目指してきました。